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70年代の想い出

中二~中三の頃の1976~77年と云うとアタシの周りでは雷魚のルアー釣りが流行ってた。

JLAA主催の第一回全日本ライギョダービーが開催されたのは1976年中二の時で、KGFCジュニアクラブに入って参加した翌年の第二回ダービーで確かチビ雷をエントリーしたけどカスリもしなかった覚えがある… ┐('~`;)┌

当時、車やバイクを持つKGFCの達人達はその機動力で菊池川、黒川(当時白川にヤマメは居なかった)、御池、薩摩湖等へ脚繁く通って憧れのゲームフィッシュをルアーやフライでバンバン釣られてたけど、中帽がチャリンコで行ける熊本市内の近場、ちゅうと江津湖と加勢川含めた周辺クリーク雷鯰がメジャー処で、緑川や井芹川は知る人ぞ知る隠れた穴場w、坪井川はまだ全くノーマークだったww

中学では給食が無く、昼食は高校附属の食堂で金払って定食カレーやうどんを喰うか弁当を持参するかのどちらか。

家が商売してたのと自分の釣具購入資金稼ぎの為、中二からは食堂で喰うと云う事にして1日2~300円貰い、毎日20円の中華揚げ2個だけ喰って、でも全然足らんから一口くれ作戦で弁当持ってきてる友達の机を回って腹を充たした (≧▽≦)

ソレで捻出した金で外国製ルアーやライン、国産タックルやツール類を、高額な外国製タックルはお年玉オネダリと店手伝いのバイト代か、何故か英語だけは授業聴いてるだけで何時も満点だったんでその他学科を連続徹夜で詰め込んでの学年テスト成績有言目標達成や英語暗唱/弁論大会優入勝のご褒美オネダリで調達してたw

その頃のルアーやフライタックルの情報源は略全てカタログだった。

各社輸入元が懇切丁寧な中味の濃いコンテンツのカタログを毎年作って無料で店頭配布してて、行く度に須々木さん処でアレコレ貰って来ては憧れだけど直ぐには手の届かないタックルに何時かは手にする夢を馳せながら隅から隅まで何回も何回も見返してたのが懐かしいww

ルアーde初雷を掛けた親父の御下がりソリッドグラス投竿とオリムピックガラゴロリールは、こうして先ずはダイワのルアー専用Lスピニングロッドとダイヤモンドのマイクロ7に替わり、このセットにアブロン3号と名前が判んなくなってる写真のシェイクスピアクランクベイト直結で釣った91㌢雷魚の自己記録は未だに塗り替えれてないwww
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塗装が剥げてるのや表皮の白傷は全て雷魚(+チェ: ベトナムの凶暴な大鯰)の歯形…ww

んで、コレ↓がチェ♪(^w^)
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鯰のクセに顎の力がハンパ無い敏捷なパワフルbullで、フライロッドで掛けるとランでトップガイドがふっ飛ぶ程オモロイwからまた何時か詳しく書きますww

数えて無いけどこのルアーだけで多分50匹位は雷魚釣ったかも…?
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剥げた、でふと思い出したけど、何時の頃からか釣りキチ三平に感化されて自分が釣った雷魚の鱗を一枚だけ剥がして釣った時の状況を書いて鱗を張り付けた記録ノートも真似して作ってたww 実家の自部屋の棚の初めて買ったステッカーが剥げてボロボロのタックルボックスの中に入れといたけど、4年前実家が商売辞めて引っ越した際に91㌢雷魚の魚拓とマイクロ7の残骸と共にボックス毎棄てられてもた… (T^T)

過去魚拓を録ったのはこの91㌢雷魚と、同時期にツレと行った緑川ブッ込みで初めて釣った21㌢セイゴと、高一になってKGFCのフライ達人に初めて連れてって貰えた菊池川FFで初めて釣ったヤマメ24㌢の3枚だけだけど、その91㌢雷魚は夕マズメの江津湖で釣った後、湖水でダバダバに濡らした拾った新聞紙にくるんでチャリンコの学生カバン用の金網サイドバッグに尻尾がはみ出たまま入れて30分掛けて持ち帰り、1時間掛けて魚拓を録り、ベランダで体の墨を洗い流してまた濡らした雑巾と新聞紙でぐるぐるに包んだ上からまた水をブッ掛ける…_(..)_、ちゅう今なら許されない様な相当酷い仕打ちをしてしもたんだけど、朝起きて直ぐ見たらかなり弱ってたけどまだ生きてて、それでもまた江津湖迄持ってってリリースするのは耐えれんだろうと思い、そのまま抱えてコレマタ今ならとんでもない事なんだけど家の裏の白川にリリースしたのを覚えてるから、扱いやモラルレベルは別としても中帽達にもリリース意識は当時からあった。m(__)m (KGFCでも折々啓蒙してた記憶があるし、確かジュニアでもCatch & Releaseワッペン造って貼ってたナ… (-_-;))
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永年ルアーやってる人なら判ると思うけど、どんなに根掛かりしても対岸や木に引っ掛けてもサカナに切られても落としても無くしても、本当に不思議なんだけどどう云う訳だかナンかの拍子でヒョイと戻って来るルアーがあるw

アタシにはこのクランクがソレww

今やナンボ使っても手元から居なくなる気がしないwww ヘ(≧▽≦ヘ)♪

ところで、この頃周りの雷魚アングラーが使ったロッドはUL~MLでラインは3号が標準、2号/4号はマイナー、5号はもっと少数派でM以上のダブルハンドベイトタックルでウイードメインに狙う人達が使ってた位。

ダイワスピニング+マイクロ7で雷魚釣りの腕を上げた処で念願のABUキャスター121を須々木に買いに行ったけど、店から出た時は何故か同じ21,000円のフェンウィックFC60を手にしてた (^w^;) イマハカンシャww
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赤い竿袋とライフルケース似の黒いビニールサックに入った逸品でコイツは今でもバリバリの現役ww
登録証をティムコに送ると写真のワッペンをくれたww
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写真のアンバサダーリールは高一だった77年の夏に一月ホームステイさせて貰えた先のArizona州Scottsdaleで、小遣いと生活費を切り詰めに詰めて残したドルで帰国直前に買って帰った5500C。

5000Cがずっと欲しくてアリゾナでも探したけど無くて、結局コレ買った。 初めてのCrappyとサンマル超えバスとブルーギルはこのリールにその時買った↓のThinFin Sinkerでアリゾナ住宅地の公園内の溜池で釣ったww
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シリアルナンバーはM、ちゅう事は1974年から75年に製造されたロッドw
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下のNナンバーのフェンはヤマメとレインボー用にと翌年のお年玉とバイト代で左利き用のミッチェル409と併せて買ったFS55。

渓流用に買った筈なのに気分で良く雷魚にも使ったからラインが拾う汚れやゴミで擦れてフェンのワイヤーガイドとミッチェルのラインローラーに溝が入り、高三の頃だったかアワセたと同時に新品ラインが切れる位に酷くなってからはそのままずぅ~っと元のケースと箱に入れて封印してある… (^^;

焦がれた外国製ベイトキャスティングロッドを遂に手に入れたけどアンバサダー5000C迄は資金が追い付かず、先ずは4千円弱と安かった深紅のダイワスピンキャストNo.1で暫くお茶を濁してたww

このスピンキャストNo.1はお洒落なワインレッドカラーで一端のルアーマン気取りになるんでシコれたwけど、フルロックで雷魚と引っ張りっこするとスプールピンが勝手に引っ込んでラインが外れ出たりクローズドフェイスカップの中でラインが頻繁にバックラッシュする代物で辟易してたんで、ある日釣りの最中ストッパーが完全に死んだ処でダイワのミリオネアG5にグレードアップww
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三平が使ってたこのミリオネアG5は今はもう傷錆だらけでハンドルが微妙に曲がって戻らなくなってて巻くとゴロゴロ異音が出る様になってるけど、今でも現役で時折油を刺しては気分で河口シーバスに使ってみたりフライリールのバッキング巻き替えなんぞに使うてるww

このミリオネアを手に入れた頃に、何処のブランドだったか忘れたけど日本製MHグラスシャフトのゴツいベイトキャスティングロッドにFUJIの別売ダブハングリップを装着し、アブロン5号を巻いて当時流行りだしたフロッグでのウイードゲームを始めた。

夏は冷たく冬は温かい阿蘇の地下水が湧き流れ込み年中水草が豊富に繁る江津湖は、台風や余程の大雨以外は常時クリアで今みたいにバスもテラピアも居なかったけど真冬の湯気が立ち上る湖面にボート浮かべて上江津湖の水深3㍍のボトムをトビー10㌘で舐めると鯰が釣れたし、春から秋の雷魚釣りでは『雷魚釣ったら殺せ!』とヘラ師の恐いヒトに言われたり新聞に書かれたりポイントに立看板が立てられる程うぢゃうぢゃサカナが居てww、ガルシアフロッグが出た直後は手漕ぎボートで黒藻ベッドに入ってって其までのウイードガードの無いルアーやライトタックルでは攻めれなかったド真ん中を通した時なぞはソレこそワンキャストで右から左から後ろから前から10匹以上の雷魚が次々にアタックして来るシーンが頻繁に見れたりしてた。

コレは当時、最後に手に入れたガルシアフロッグ大の生き残りww
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確か大小2サイズあって雷魚の喰いは小の方が圧倒的によかったと記憶してるが、このフロッグは兎に角足首が弱くて1~2匹釣ったり激しいバイトがあると一発で千切れw、アイ周りも弱くて良く裂けたんでコイツは縫ってあるww

中三の頃だったと思うが77年にはバーブレスフックの概念が入って来てコイツもその時カエシを潰した。
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蛙色は略消えて雷魚の牙で裂け割けになってもボディとレッグは未だ当時のままの弾力性を保ってるから大したモンだけど、驚異的なバイト率を誇ったこのガルシアフロッグの欠点は、針に掛からん事… ┐( ̄ヘ ̄)┌

今回想すればヤワいタックルでヤってたからだろうが20発喰わせてやっと1発掛かるかどうか位の酷いフッキング率だった…(≧∇≦)

その点が改良されて抜群のフッキングだったのが後に発売されたハリソンスーパーフロッグ♪
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コイツも最後の生き残りでレッグの耐久性はガルシアフロッグと比較すると数十倍高かったんだけど、コイツは運悪く卸して最初に釣った雷魚に片足を喰い千切られて喰わせ難くなったんでそのままお蔵入りさせたモノww
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ワイヤーのウイードガードがあった筈だけど、何かしようとしたのか外したみたい…( -_・)?

今の雷魚ゲームで使われる各種フロッグとスタイルの原型はこの後出回り始めたスナッグプルーフにあるけど、アタシがその頃主に使ってたのは蛙シェイプのヤツではなくてポッパータイプの奴ww
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特にこのパッケージで売られてたパープルイエローのポッパーが好きで、ガン玉入れて更に飛ぶ様にチューンした奴一個で一日で21本釣った♪っちゅう最高自己記録をもたらしてくれた想い出があるww
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確かボロボロに裂かれたのが一個まだどっかに入ってる筈なんで写真撮ろうと探したけど、恥ずかしいのか出て来なかったんでご紹介はまた出て来た時にでも… (^w^)

ボロボロだけど、若い頃の想い出が沢山詰まった旧き善き時代の道具達…

多分このまま売らず棄てずに墓まで連れてくか、もしかしてチビがサカナ釣りするんなら、ニンゲンサマの夢と希望をテンコ盛りにして全部このまま託すんだろな…… (⌒‐⌒)
by saltyalx62 | 2015-01-20 21:12 | 回想録

海水毛鉤好きなロートルのフライフィッシングブログです。 Husband, Father, Motorcyclist, Marketing Planner, Fan of Thrash-Metal, and a Saltwater Flyfishing Geek, Born in 1962,


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